大崎上島の神社

大崎上島の神社・神事いろいろ。

これからも、最近の写真・資料等があれば付け加えていきます。

向山の榎本さんの提供です。

 

○木江厳島神社(木江天満)

 

          興津島比売命(おきつしまひめのみこと)

 

祭神 宗像三女神   市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

 

          多岐津比売命(ひめのみこと)

 

由緒 由緒については定かではないが、貞観3年(861年)勧請と伝う。古くは安芸の宮島厳島神社の外伝「伊都岐島皇太神鎮座記(いつきしますめのおおかみちんざき)」によると、三女神が宮柱を建てる地を求めて御神幸のおり、当地に立ち寄られた古事により創建されたとも伝う。近郊の古刹・沼田豊田神社の別当寺、古刹楽音寺に伝存される「安芸国神名帳(鎌倉時代)」神階四位・大崎木の上明神とは当社と言われている。

 

祭礼 元旧暦7月17日(安芸の宮島厳島神社の管弦祭と同日。)かって十七夜祭りと言われ、飾り立てたゴザ船に御神体を遷座した御輿を奉じ渡御する御神幸、周囲にお供船の櫂伝馬がつき神意を慰めて還御する、満月の夜に幽玄の世界が海上に展開されていた。

 

   現在 7月末~8月初めの十七夜の潮に一番近い土曜日。(漕ぎ手確保のため)

 

神事 ①祭礼は本社厳島神社の管弦祭を踏襲するものと思われる。

   ②伝馬競漕は水軍の流れを汲むものとされ、水軍の中でも早

    かった「小早」の勇壮な姿が再現されたものという。その昔、

    浦宗勝率いる小早川水軍の備中船手衆の中の「大崎衆」として

    活躍していた水軍が大崎上島にいたと言う。

   ③木江支所の前の海は狭い入り江である、提灯に灯りをともした

    櫂伝馬船が「ホーオンエンヤ」の掛け声勇ましく全力疾走で狭

    い入り江に入り込む、一瞬にして櫂伝馬船が一転する、大向こ

    うを唸らせる見せ場である、観覧者の拍手が一斉に沸き上が

    る、大櫂を操る船頭の技術と勘はまさに神業である。

行事 幽玄の中還御が終わり、以前は中天に十七夜の月が海面を照らす頃、夜空に華麗な打ち上げ花火が上がり観覧者の歓声が沸く、やがて花火が消えると共に十七夜祭りも終わる。

 

 

○矢弓厳島神社(東野矢弓)

 

          興津島比売命(おきつしまひめのみこと)

 

祭神 宗像三女神  市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

 

          多岐津比売命(ひめのみこと)

 

            塩椎神(しおつちのかみ) (塩をつくる神様)

 

由緒 建の由来を伝える確たるものはないが、芸南の島々の宮島伝説も

   とになっている「伊都岐島皇太神鎮座記(いつきしますめのおお

   かみちんざき)」から、大崎上島の宮島伝説が生まれた、市杵島

   比売命が終の住処とすう宮柱を建てる地を探し求めて、この島に

   来られたとき、一刻の憩いの場所となった古事により創建され

   た。

  

    勧請は延享2年(1745年)(東野史より)

     ②理由は定かではないが、住吉神社が勧請されてから、いつの頃

    から 祭礼の時に御旅所になった。

 

祭礼   元 旧暦6月17日

    現在 新暦8月13日(住吉神社と同じ)

 

 

○外浜厳島神社(大崎大串)

 

           興津島比売命(おきつしまひめのみこと)

 

祭神 宗像三女神   市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

 

           多岐津比売命(ひめのみこと)

 

由緒 創建の年歴不詳・元禄10年(1697年)政権の棟札伝存。豊田郡内の古刹楽音寺は一宮豊田神社の別当寺である。安芸国神名帳を祭礼の折り読誦していた、作成年月不明なれど正和2年(1313年)修正会(しゅうしょうえ)次第書の法楽に神明帳を読むと記載されている。この中に神階四位大崎西明神の記載がある、明治4年3月時の割庄屋田坂東平が郡役所に差し出した「古神名御尋ニ付申上付」には「大崎西明神」とは大串村の厳島神社と回答している。

 

   大崎上島の宮島伝説は5話あるがいずれの話も、宮島の厳島神社に移られるときこの外浜から船出されている。瀬戸内海の宮島伝説の元は厳島神社創建にからむ外伝として「伊都岐島皇太神鎮座記(いつきしますめのおおかみちんざき)」なるものが存在し、この中から更に各々の地、独自の伝説が生まれたようである。

 

祭礼 厳島神社の管弦祭と同じ、旧暦6月17日族に十七夜祭りという。

 

   祭りに付きものの「のぼり旗」を建てるほかは祭りらしき催しはしない。

 

 

○矢羽多八幡神社(大崎本郷)

 

   息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)

 

   品陀和気命 (ほむだわけのみこと・応神天皇)

 

祭神        興津島比売命(おきつしまひめのみこと)

 

   宗像三女神  市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

 

          多岐津比売命(ひめのみこと)

 

由緒 鎮座年歴不詳、古くは矢羽多八幡神社といった。往古の棟札は虫食い文字で判読できがたいが、文亀2年(1502年)八幡山山頂に社殿造営再興す文化3年(1806年)社殿を現在地に建て替え遷宮。

 

例祭の行列

   当家で行列を組、地域内を進みお宮に到着すると「御供さん」捧持した供物を神前に供える献饌の神事と、厳かな雅楽の中「巫女の舞」が奉納され、境内では獅子舞のあと、子ども太鼓が奉納されてお開きとなり初日が終わる。

  

   翌日はお宮に集まり、御輿に御神体を移し再び行列を組み、御旅補に御神幸し神意を慰め、神事の後宮入となる。このとき2基の御輿が繰り広げる御輿合わせは、喧嘩御輿といわれ祭りを一層盛り上げる。

 

   産着の緋の袴、その上に「ちはや」をまとい髪には熨斗を付けた「御供さん」と着飾った華やかなお供、裃に陣笠の「吹き囃子」、御輿、獅子、天狗、高張り提灯に旗、平安絵巻を思わせる行列は、地域の伝統民俗遺産といえよう。

 

祭礼  元 旧暦8月14日~15日

 

   現在 新暦9月第4土曜日

 

 

○古社八幡神社(東野古江)

 

   譽田別命(ほむだわけのみこと・応神天皇)

 

祭神 帯中津比古命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)

 

   息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)

 

由緒 神社明細帳の記載によると勧請の年歴不詳、往古山城国男山より勧請の由と伝えられている。芸藩通志によると八幡宮大崎東村にあり、一つに古社と称す、勧請の初め伝わらず、慶長(1596年~)以後凡そ四度重複す。

 

   楽音寺に伝存される「安芸国神名帳(鎌倉時代)」に神階四位・大崎東明神とある、古社八幡神社に比定される。

 

祭礼   元 旧暦8月15日

    現在 新暦9月第3日曜日

 

行列 祭礼の行列の中「奴行列」の沿道で繰り広げられる踊りは、例祭を一層盛り上げる。行列がお宮に到着し境内で奴踊りが奉納されると、お宮は祭り一色となる。

 

   また、毛槍を立てた裃姿の行列は時代絵巻を見るようである。

 

 

○住吉神社(東野古江・古社八幡神社境内)

 

         底筒之男命(そこつつおのみこと)

 

祭神 住吉三神  中筒之男命(なかつつおのみこと)

 

   墨江    上筒之男命(うわつつおのみこと)

 

由緒  ★住吉神社棟札写しによる(松浦不二磨社掌)

 

    ①文政8年(1825年)大阪住吉神社の御神霊を古社八幡神社境内に神殿を建築し勧請す

 

    ②文政10年(1827年)古江磯田の地に新社屋を建築し

     御遷座奉る。

 

    ③明治政府の神社整理例の基づき、明治43年(1910年)再び創建の地、古江八幡神社へ合祀された。(現沖浦恵美須神社本殿は、元住吉神社本殿)

 

    ★一連の勧請、神殿建築、祭礼について船持ちの人達の信仰心と財力に負うところが大きかったことは言うまでもない。

 

祭礼  元 旧暦6月29日

   現在 新暦8月13日(昭和63年より漕ぎ手不足を補うため盆

      休みを利用)

 

行事 櫂伝馬競漕 一般的には水軍の流れを組むものとされ、水軍の中でも最も早いと言われた「小早」が想定されている。大崎上島にはかって、小早川水軍の備中船手衆中で「大崎衆」として重きを成していた水軍が居た。

 

   ★櫂伝馬競漕の醍醐味は、各地区沖での競漕もさることながら盛りあがるのは、中央での「とも綱放し」である。参加の櫂伝馬船が合図のもと一斉にスタートし、地区民の声援を受けて競漕する最大の見せ場である。

 

 

○日吉神社(元・山王権現社)(大崎原田)

 

祭神 瓊々杵命(ににぎのみこと)、大巳貴命(おおなむちのみこ

   と)、猿田彦命(さるたひこのみこと)

 

由緒 創建の年は不詳なれど古くは山王権現といい、原田村の地主神であり、神仏習合の大寺久瑠間寺鎮守神であった。また久瑠間寺は山王権現の別当寺であったが兵火により焼失し、中絶数百年に及ぶ。寛文13年(1673年)時の庄屋田坂市朗右衛門神意を蒙り再建す。明治元年(1868年)神仏分離令により権現を廃止、社号を日吉神社に改称す。大津日吉神社の末社なり。

 

祭礼  元 旧暦9月14日~15日

   現在 新暦10月第3日曜日

 

行列 旧・清め、先払い、国旗、社旗、役員、当家、裃袴の吹き囃子、産着と襷で飾った幼児のチャンポコ、晴れ着で飾った御供、天狗、御輿、巫女、神主等々、当家より神社宮入まで時代絵巻を繰り広げていた。

 

   お宮に上がると境内狭しと御輿が練り回し、大きな獅子の口で噛みご利益を授ける。天狗は境内をわがもの顔で走り回る。

 

   神社の中では巫女の舞い、境内では獅子舞が奉納される。

 

   ☆古くは競走馬や流鏑馬が行われていた記録がある。

 

   現在・祭礼の行列は昔の形態をどうにか維持しているが、過疎と少子化で大幅に縮小され簡素化されている。いつまで継続できるか。

 

 

○御串山八幡神社(木江明石)

 

   品陀和気命(ほむだわけのみこと・応神天皇)

 

祭神 帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)

 

   息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)

 

由緒 往古、神宮皇后西下のおり明石浦に軍船を泊め、丘の上で瀬戸の眺望を愛でながら、手に持っていた御櫛で髪を梳かれた故事に因み、神祠建立し社号を御串山八幡神社と称えたと伝う。

 

   ①造立・建長2年(1250年) 

   ②造営・元応元年(1319年)

   ③再建・応永33年(1436年)棟札には「地頭・土倉冬平

    大願主・高橋左京助大宅光重とあり、芸南島嶼部では最古の

    棟札」

祭礼  元 旧暦8月15日 

  

   現在 9月23日(秋分の日)行列  

   旧神主・宮総代・当家・役員・世話人・

   子ども「吹き囃子(笛・チャンポコ)」・巫女・獅子・御輿等で

   当家よりお宮まで、王朝絵巻を思わせる行列を組み参宮する。

   その昔は流鏑馬の神事の記録が残っている。

   現在 お宮で神事のあと、御輿を中心に御旅所(集会所)まで、

   地区内を巡行したのち宮入をする。過疎と少子化時代の趨勢で仕

   方がない事であるが、昔の華やかな行列を知る者は一抹の寂しさ

   を感じる。

 

 

○垂水神社(東野垂水)

 

祭神 塩椎神(しおつちのかみ=塩土老翁しおつちのおきな)、

   外2柱

 

由緒 由緒は定かではないが、垂水の鎮守、氏神として創建されたと

   思われる。

 

   創建享保9年(1724年)

 

祭礼  元 旧暦9月1日

   現在 旧暦9月1日の新暦の最初の日曜日

 

   隣接する清涼院のご本尊は文殊菩薩、文化9年(1812年)天橋立で名高い宮津の日本三大文殊の智恩院(通称切れ戸の文殊)の文殊菩薩を勧請し創建。

 

   更に大正4年総欅造り御堂を新築し十一面観世音菩薩を祀る。

 

 

○大原神社(大崎大串)

 

  筑紫志賀神(ちくししがのかみ)、国常立神(くにとこたちが

  み) 

祭神        底筒之男命(そこつつおのみこと)

 

  墨江三神  中筒之男命(なかつつおのみこと)

 

    住吉    上筒之男命(うわつつおのみこと)

 

由緒 天保2年(1831年)より天保7年(1836年)の5カ年間の歳月をかけ、2度の新提決壊、3度目の汐留めの成功した入相新開(40町歩)の安全と豊穣を願って、新開の鎮守神を勤番所跡に建立し、社号は大串の「大」とはらだの「原」を取って「大原神社」と命名された。

 

祭礼 4月29日

 

   昔は新開の人達で祭祀を行っていたが、現在は大串地区の祭りとなり、演芸、カラオケ、獅子舞等活発な行事を行っている。

 

 

○沖浦胡子神社(木江沖浦)

 

祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)、墨江之三前神、底度久御魂神、和田津見神、

 

   豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)、豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)

 

由緒 正徳(1711~1716年)以前または、元禄12年(1699年)の勧請と伝える。

 

祭礼  元 旧1月11日

 

 

○沖浦恵美須神社(木江沖浦)

 

祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)、豊玉比売神(とよたまひめのまみ)

 

   綿積神(わたつみのかみ・大綿津見神)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

 

   豊玉比古神(とよたまひこのかみ)、他合祀社神

 

由緒  旧沖浦村の鎮守神で御串山八幡神社の摂社、一説には天文年間(1521年~)

 

   勧請という説もあるが、通説では宝永2年(1705年)創建となっている。

 

   明治政府の神社整理令(俗に古老は神寄せという)により明治43年(1910年)古江磯田の住吉神社が古社八幡神社に合祀され社殿が不要になったので、これを購入移築し恵美須神社として再建した。

 

   移築にあたっては本殿はそのまま台船に積み、その他は解体して積み櫂伝馬船で曳航して帰り再建したという。現存する境内東側の鳥居(嘉永2年(1849年))はこのとき移設したもので、扁額のみ「恵美須神社」として縣額された。

 

   櫂伝馬競漕の歴史は、慶応2年(1866年)起源とする。出場隻数は3隻と規模は小さいが、区をあげて声援している。(畑規矩監修・大崎南村郷土史より)

 

祭礼  元 旧暦10月10日

   現在 新暦10月第1日曜日

 

 

○外表荒神社(東野外表)

 

祭神 大年神(おおとしがみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)、

   迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

 

由緒 勧請について地元で聞く。(小笠原判二郎氏の子孫の方)

 

   創建は、明治初期

 

祭礼  元 旧暦3月28日

 

   現在 新暦 

 

   ★祭礼の時奉納される獅子舞はその昔大三島に習いに行き習得、今は地元に根付き、郷土芸能として大崎上島を代表するものである。

 

 

○弓張り岩神事(木江野賀)

 

神祭 弓張り岩

 

由来 大崎西庄地頭、沖浦葛城主土倉冬平(はぜくらふゆひら)の家臣、弓張籐右衛門は、豪弓・早弓の達人であった。1400年頃この海域では海賊船が出没して人家を荒らしていた。海賊が現れると藤右衛門は弓張り岩に弦を張り、矢をつがえて次々と放ち、海賊船を沈め退治したと伝う。

 

神事 7月最終土曜日

 

   大崎上島町観光協会